カテゴリー別アーカイブ: 生きる

週末にオモフ

ちょっとだけ
気になってた人が
急に近づいてくると
うんざりする。
そんなことってあるよね。
突然写真を撮られたり
(失礼だろ)
いつもかわいい服着てるね
って言われたり
(いつも?いつ見てた?)
きれいな指だねって
手を近づけられたり。
(セクハラだろ)
阪神ファン?
って手を握られたり。
(これはただの握手か)
という風に思ってしまうあたしは
屈折しすぎなんでしょうか。
でも
もしかしたら
向こうも舞い上がってたのかも、
とか淡い期待を抱きたくもなるけど
もともとまったくと言っていい位
知らない人。
フォローのしようもない。
ただ
残念に思い
冷めてゆく自分がいる。
これも一種の失恋か。
恋する手前でこれじゃあ
ダメなのかねぇ、あたし。
あーあ。
週末に
もうひとつ反省することがあった。
人があきれるほど
即行で行動に出てしまうことのある
あたしだけど
たまにそういう自分を
楽しむために
即決してるんじゃないかって
思うことがあって。
それが土曜日にもあった。
なんとなく勘で
話した相手は
悪くはない人だし
その出会いは間違っていないと思う。
だけど
その人や
それを聞いた人が
ちょっぴりあきれるんじゃないかって
そのことがおもしろくて
大きなことを決めそうになった。
いや決めて撤回したんだけど。
大きなこと
小さなことで
そういうことが
あたしには多々ある。
悩んでも同じ、
時間がもったいない、
ぱっぱと決めた方が
気持ちいい、
それ以前に
いろんなことに
それほど執着がない。
たぶん
そんな気持ちから
こういう行動に
でちゃうんだと思うけど。
しかもまずいことに
勘とか
「一期一会」を選ぶことで
失敗したということが
ほとんどないあたしは
どこか自分の力を
信じきってるところがあって
客観的に見たら
危なっかしくて
無防備で
大胆すぎるかもしれない。
今回も
同じような行動をして
結果として
違う方向に行ったのは
そのものが間違っていた、というより
そういう決断の仕方をする自分を
初めて否定したから。
もっと考えた方がいいんじゃないの?
今すべきことはほかにあるんじゃないの?
潔いと考えナシは違うんじゃないの?
少しは慎重になったら?
走り続けるだけじゃなく
危険回避も必要。
たまには立ち止まって
考えようっと。
そんなこと思った
週末でした。
お料理は~。
・うどとたけのこと豚肉の辛味噌炒め
・ほうれん草のごま和え
・うずら豆の煮物
・きんぴらごぼう
・ヤングコーンときくらげ入りチャプチェ
 最近近所に山梨あたりから出張してくる八百屋が
 できたらしいので行ってみた。
 とれたてのヤングコーン♪
 ひげまでいただきすよん。
 あと、きくらげは先日中華街で買った
 巨大なものなんだけど
 これが食べでがあっていいのだ。
 
今日はきのう作ったおでんが
しみしみかしらん。
季節はずれ?
食べたいからいいのっ!
きのうは久しぶりに泳ぎに行った。
すいてて1コースひとりじめ。
気持ちいかった~~~~~
土曜はフットサル。
ミニコート7人で走りっぱなし
これもおもしろかった~。
「やみ雲に蹴る姐さん」
「本能のストライカー」とか言われ。
そして
金曜日は久しぶりに『あい津』へ。
なんと同じ幼稚園出身の人に会った!!
夙川だよ~?
すげ~。

雨がやんだなら

土曜は。
天気ははっきりしないけど
洗濯したり
クリーニング出しをして
のろのろと一日が始まる。
来週の新潟の旅のため
情報を求めたところ
妹さんがわざわざ送ってくれた
タウン誌をKごんに借りに行く。
持つべきものは
新潟出身の
親切なご近所友達!笑
そのあと
夕方川崎へ向かう。
先日亡くなった
ギタリストを偲んで
フットサルをやってる奴らに
合流するため。
サルにも誘ってもらったのだけど
ここでサルをやったのは数回。
その時もヤツにあれこれ
世話を焼いてもらったなぁ、と
思い出した
とても笑いながらフットサルを
する気にはならなかったので
そちらはパス。
騒がしい彼らが
出入り禁止になったという
川崎のしゃぶしゃぶ屋に着くと
ちょうどバンドメンバーと遭遇。
店に入ると主催のSっちが
「姐さんココココ!」と
招きいれてくれて
アウェー感も薄まる。
しゃぶしゃぶもどうかと
思っていたけど
まわりの若い子たちが
てきぱきと働いてくれて
上げ膳据え膳状態で。
ほんとにここに子たちは
気持ちいいのだ。
ちょっとやかましい集団も
いたけどネ。
二次会に流れて
いよいよバンド会議。
コージーが亡くなって
続けるのか、って話
みんながやりたいのかという
真意が見えなくて
会って話しましょうという
機会だったのだけど。
意外にも
みんな辞める気はなくって
おセンチになっていたのは
あたしぐらいで
それよりも
姐さんの負担が増えて
大丈夫なのか?
ってことだった。
たしかにあたしには
技術もないし
単純に二人分を弾かなくては
ならないから
大手を振って
やろうやろうとは
言えない立場だ。
でも
「このメンバーでやりたいんす、
姐さん大丈夫ならやりたいんす」
と、ベーシストが言ってくれて
なんだかまたまた
涙ぼろぼろ。
やっぱりこの人たちに
会えてよかったなぁ。
がんばんなきゃだけど
でも気を張らず
ゆっくりやらせてもらおう。
あけた日曜は。
起きられなかったのは
49日だったからじゃなくて。
でもなんだか
無性に無気力で
新潟の計画、
ギターの練習も
早速やりたかったんだけど
ちょっぴり寒い温度がいやで
ふとんにくるまって
ぼんやりしてた。
やっと買い物に行こうとしたら
外は雨降り。
やっぱり悲しみの雨が降ったね。
料理する気力も
なかったのだけど
なんとか作って
今日の自転車レースが
始まるのを待つ。
・新じゃがいもの煮物
・たけのことしいたけにんじんの煮物
・炒り豆腐
・ひじき
・にら卵
レースは名物レースだけあって
最後までわからず
おもしろかったけど。
明日からまた
立ち上がれるか、あたし。
最近日曜日に無気力になるのは
天気のせいならいいのだけど。
誕生日には
ライヴも見れるし
旅にも出られるし
バンドもできることになったし
楽しいことが待ってるのに。
何かが足りない。
って思うのは
贅沢な話だとわかっているのだけど。
もっと懸命に生きないとね。

甘い蜜がすぎないよう

今日は。
北千住のオヤジサルの
試合後の花見呑みに
声をかけていただいていたのだけど
珍しくパス。
土曜に呑んだ
相手の話が
気にかかり
自分の処し方を
ひとり考えたかったので。
だけど実際は
考える、というよりは
目の前にあるやるべきことを
片付ける片付ける・・の
いつもの日曜日。
立ち止まるよりは
すすむしかない。
手法はなかなか
変えられない。
けど。
その合間に
考えさせられること、
近くにそういうことが多いのは
年齢のせいなんだろうか。
土曜に控えた
山の資料を作ったあと
軽いウィンブレでもないかと
新木場のヒマラヤまで自転車で。
途中
なじみの自転車屋で
調子の悪かった自転車の
前輪をちょいといじってもらい
走りは快適。
さんきゅーO野さん!
そこから
南下する間に
越える細い隅田川の支流はどこも
桜並木で満開。
花見には最適な日
だったみたいね。
天気のわりに
気温は低めの日だったけど
春の歓びに外でくりだした
人々の姿に平和を感じる。
そんな街をぬって
かつて住んでいた
門仲あたりに着くと
そういう浮き足立った空気が
蔓延していて
なんだか顔がほころぶ。
きれいな風景を
独り占めしたいという反面
知らない人々と
気持ちを共有するという
人間らしい心境が
あることにも驚く。
と、通り過ぎた
休みのはずの店に
ご無沙汰のあるお方の姿を見つけて
ストップする。
窓を拭いていた
『セリア』のマスター。
窓をこつんとたたくと
一瞬わからなかったみたいだけど
出てきてくださった。
「久しぶりだねぇ」
ほんとに久しぶり。
Hinata-yaに出会うまでは
日本一!の位置づけだった
門仲のカレー屋さん。
引越してしまって
あまり行く機会もなかったけど
なにしろマスターが
そこそこお年を召しているので
閉店していないかと
気になってはいたのだけど。
「疲れた疲れた」と言いつつ
きちんと休みの日にも
店の掃除にいらっしゃって
お元気なご様子。
「まだがんばってるから
遊びに来てくださいよー」
なんて言っていただき。
行かねば!
のココロ。
ヒマラヤでは
目当てのものには
出会わなかったけど
そのあとS和ちゃんのやる雑貨屋
『2m50cm』に寄る。
店舗引越しのあとはじめてだったのだけど
なんとか見つけ出し。
ネットでチェックしていた
くつ下2足購入。
「会社は正念場です!」
なんていって
先日花見にも参加できない位
がんばってるS和ちゃん。
若くして店をはじめる、ということは
やはり大変なことなんだろうけど
こうやってがんばってることは
無駄なわけではないだろうし
果敢に挑戦しているということ、
本当に尊敬してる。
あたしの悩みや哀しみなんて
ほんとにちっぽけで
笑っちゃうよね。
買い物などして帰り
赤ワインを呑みながら
たけのこを煮る。
今年初の生たけのこ。
香るコーンのような香りが
うれしい。
あとは
食材がたくさんあるのだけど
今日はちょっとゆっくりしよう。
春の重要な自転車レース
パリルーべを観ることに。
自分への課題と
甘い蜜の部屋。
そのバランスを日々
とりながら行こう。
ちょっと甘すぎて
ビール腹ぎみだけどね。

借りっぱなしのオーバードライブ~春が来る前に逝く


水曜日の帰り道。
22時ごろだったかな。
キヨからの着信があった。
近くで働いているからたまに
呑もうと連絡くれることがあるけど
それにしては遅いなと思ってとりあえず
「悪い、電車で気付かなかった」と
メールすると
「電車降りたら電話して」との返信。
予感がした。
メールで書けないこと・・
いや、でも違うかも。
たぶんきっと別のことがあって
とかいろいろ考えながら
ひとまず家に着いてから
かけ直してみた。
「丸田さん、亡くなったって」
ああ。
ついにその日が来てしまった。
あたしのバンド
ローディングロデオのリーダー、
ギタリストコージー。41歳。
肺ガンが原因で2年間
苦しんでいたのだけど。
そのコージーが亡くなってしまった。
キヨによれば
今一緒にいるすがっちが
その日の朝、コージーにメールしたのを
奥さんが気付いて
連絡くれてわかったって。
あとで聞いたところ
奥さんも気が動転していて
そのメールがなければ
誰にも連絡しそびれていた、とのこと。
それにしても。
なんで会いに行かなかったんだろう!
ものすごく後悔した。
何度か入退院をくりかえしてた2年あまり。
調子がいいと「スタジオ入ろう」って
発病してからも何度かスタジオに入ったり
呑んだりもした。
でも
去年の9月のスタジオの数日前
「急に入院することになり
スタジオいけなくなりました、ごめん」
というメールが来た時は
相当悪かったのだと思う、
今思えば。
それまで
とにかく毎週のようにメールすると
特に入院している時は喜んでくれて
「アネキだけだよ~連絡くれるのは」
なんて返信もくれてたのに
その9月以来ぱったり連絡が来なくなった。
ともかくよくはわからないけど
お見舞い行くにも
今病院なのか家なのかもわからないし、
と迷っているうちに
もう年末。
メールだけはしつこく
出してはいたのだけれど。
と、久しぶりに
ヴォーカルまさきからメール。
「今コウジさんの家にいます!
とりあえず元気です!」
といううれしいメールが来て
ほっとしたけれど
この時なんで
すぐ電話して
コージーに代わってもらわなかったのか
それから日をあけずに
自分も押しかけなかったのか
いろいろ後悔する。
とりあえず
テンパってメンバーに電話すると
一瞬のうちにみんなにも伝わっていたらしく
お互いに沈んだ声。
「5日に亡くなったらしいんです」
「お葬式とかやらないみたいです」
「お墓は九州で」
というような事実が
少しずつ明らかになってきて
「何か動くときは伝えて」と言うと
「明日行こうと思っています」と言う。
19時ごろに葬儀屋さんに連れて行かれてしまうので
迷惑にならない夕方のうちに
会わせてもらおう、という話で。
「わかった、あたしも行かせて。
仕事半休にする」
喪服を出しながら気付く。
去年震災の影響で亡くなった同僚のお葬式に
借り物で出たあたしは
すぐに喪服を作ったのだった。
ああ、喪服なんて作ったから
コージーの死を招いた。
もう何を考えても
涙があとから出てきて止まらない。
なんであんないいやつなのに
こんな目にあわなくちゃいけないの?
何も悪いことしてないのに!!って
とにかくその日は眠れなくて
自分たちのライヴのビデオを見たり
3時ごろまで何も食べずに
ビールを呑み続け
泣き続けてた。
そしたら寝坊して1時間遅刻してしまった。
休んでしまおうかとも思ったけど
昼までは、と仕事の形をつけに出社。
ライヴにも来てくれた同僚☆に
話をしても泣く、
社長に早退の旨を告げるのでも泣く、
PCの画面見ていても泣く、
そしてビールがたたったのか
胃がきゅんきゅん痛くなって
席にすわっているのがやっとだった。
そして家に帰り
うらめしい喪服に着替え
向かうは「藤が丘」。
流産した時に通っていた病院もここだった。
ああ、忌まわしい駅になっちゃったな。
そこへ
川崎から2台の車で
ヴォーカルまさき、
すがっち夫妻、
麦たば夫妻、
うめちゃん、
ぴでちゃん一家が到着。
電車で来た
ドラマーヤストキ、
群馬からはるばる来た
ベーシストとりちゃんともども拾ってもらう。
マンションに着くと
車を停める場所がなく
うろうろしていると
奥さんが出てきれくれる。
このお方、コージーの
最初の奥さんで
なんと発病してから
もとの鞘に戻ったという
なんとも見上げたお方なのだ。
この日の彼女の働きもすごかった。
部屋に入ると
リビングの窓際のふとんに
横たわったコージーがいた。
最後に会ったやせこけた顔よりもずっと
ふっくらしてみえて
治療のためかずっと丸刈りにしていた頭も
かなり髪が伸びていて
眠ってるみたいだった。
神妙な面持ちで
お線香をあげるあたしたちの横で
「こうちゃん、よかったね
たくさん来てくれたよ」
「痛みから解放されて
安らかな顔してるでしょう、
たぶんこのへんにいて
みなさんの訪問喜んでますよ」
という明るいくらいの奥さんの言葉に
言葉を失っていた一同も
ぽつぽつと思い出話を始める。
「24時すぎるとこういう顔して
居酒屋で寝てましたよ、よく」
なんて言うすがっちの言葉に
笑いながら涙もぼろぼろ流れる。
コージーのご両親、
弟さん夫妻に
麦たばのマスターが
写真を見せて
コージーとの思い出を語る。
小さい子供たち三人は
どれくらいわかってるんだろう?
それに対して
奥さんが最後の日々を
語ってくださったりして
ああ、この奥さんがいてくれて
最後コージーはしあわせだったんじゃ
ないかしらって思う。
遊び人で
結婚も何度か
子供も方々にいるらしいコージーだけど
こんなにしてくれる人なんて
なかなかいないよ。
内弁慶でなぜか妻には
つらくあたる、という噂もあったけれど
あたしにはまったく想像できない。
だってあたしたちには
ほんとうにやさしいやつで
少し気が小さくて
でもカリスマ性があって
世話焼きで
さみしがりやのコージー。
ほんとうに思ってくれる奥さんと
ほっぽらかしにしてた三人の子供たちとの再会が
少しはひどい痛みをやわらげることが
できたんじゃないかな。
それは四六時中一緒にいるわけではない友達には
難しい、家族の愛なんだよ、コージー。
それはわかってたんだと思う、
最後の定期入院をすごくいやがって
「家にいたい」と言うのに
無理矢理入院させられた5日後に亡くなったというから。
今度こそ帰れない、と
彼自身もわかっていたのかも。
そんな時の彼の気持ちを思うと
ほんとうに切なくてイタくて哀しくて
また涙が出る。
彼は
20代にして
電気工事屋から独立して
自分の会社を作った。
いままわりにいる若い子のうち
「困ってるならうちで働けば」
と、厄介になった連中が
たくさんいる。
その会社も
遺された従業員に迷惑かけるわけにいかないって
発病して1年たった時に
たたんでしまった。
それは自分の重病を認めることでもあり
かなりつらい選択だったと思うけど
その潔さは美しかったと思う。
「治ったらまた始めればいいからさ」
なんて言っていたけど。
でも「治る気」ではいたって
奥さんも言っていたし
負け惜しみなんかじゃなかったんだと思う。
事実半年しか生きられない、といわれた病気、
2年も抱えてたんだもんね。
よくがんばったよ。
きっとやりたいことがまだまだ
あったと思う。
今までだって
「やりたいねー」なんて
呑み会で話してたことは
なんでも中心になって実現してきた人。
「いつかアネキの店も出したいと思ってるんだよねー」
と言ってくれたこともある。
あたしがコージーと
出会うことになった
フットサルもバンドも。
まず
きっかけは「麦たば」だったそう。
もうなくなってしまった店だけど
この日来ていたマスター夫妻の
やっていた焼き鳥屋に
毎日のように行っていて
そこでずいぶん人脈を作ったみたい。
あたしもスタジオの前後に
何度もお邪魔したことがあって
ここの常連さんが何人もライヴをみに
来てくれたりして。
とにかく
会った人とすぐに打ち解けるという意味で
彼は天才だったと思う。
かく言うあたしもその天才の
毒牙にかかったひとり。
そこの店で
「女の子を呼びたいから」サルチームを作り
「モテたいから」バンドを作る。
・・ってまるで中坊じゃんかよ!!
別々のサルチームを
ミックスしてチームを作って対戦しようという企画
「ミックスジュース」で会ったのが
最初だったと思う。
あたしの第一印象を彼は
「アネキは最初から恐かったんだよ、
点とれなきゃ勝てねーんだよ!って」
とよく言ってた。
そのあと
しばらくあいてからだと思うけど
このチーム「あほんたーれ」の練習に
人が足りないと誘ってもらったことがあり
参加したあとのファミレスで
バンドの話が出た。
「キーボード弾ける子さがしてるんだけど」
明らかに若い女の子紹介して、という
ニュアンスだったんだけど
「実はあたし弾けるんだけどだめ?」
と、乗っかったのが最初。
すると意外にも
「ほんとですか!ぜひ明日来てください、
スタジオ入るんで!」
今思えばこんなおばちゃんを
二つ返事でいてくれたメンバーの懐の深さは
当時から変わらない。
まあこれほど年が違うとは
彼らも思ってはいなかったようだけど。
スタジオであらためて
メンバーを紹介されると
まさきととりちゃんは
ひとまわりも下。
一番年が近かったのが
コージーで。
そんなこともあり
しばらくはコージーとしか
なじんでなかったような気もする。
キーボードで入っておきながら
途中から「ギター弾いてもいい?」と
ギターを持ち込んだところから
同じパートになってしまったせいもあるけど。
でもなんとなく気を遣ってくれて
いつもそばにいたり
声をかけてくれてたように思う。
「姐さん、俺よりうまいもんな」と
持ち上げてくれたり。
とにかく彼はあたしがバンドにいるにあたって
重要な人だった。
で、このバンドが
なんとも楽しかった。
実はドラマーとあたし以外は
初心者なので
ただただ楽しむことだけを目的に
下手っぴでも構わない。
練習嫌いライブ好き
スタジオではまず乾杯からスタート。
スタジオ内での
練習不足、技量不足への
プレッシャーで楽しめない
今までのバンドとは
まったく違うこの世界。
ほんとに楽しいことを
追求しているのが
彼らだった。
メンバーの性格も奇跡的な
組み合わせだと思う。
誰一人いらいらしない、
くだらないギャグでいつまでも
笑ってられる。
時には中休みの酒が長すぎて
スタジオの時間が
半分ぐらいになってしまうことも。
スタジオのあとも呑むのにね。
だから何年も同じ曲をやってる。
それも簡単なブルーハーツ中心。
そのブルーハーツを
コージーがいつも間違えるのも
スタジオの笑いのひとつだった。
「終わらない歌」のイントロが
それだった。
いつもフレットを同じように
ずらして弾いてしまうあの
「気持ち悪い」音が懐かしい。
その楽譜を持っていって
棺に入れてもらえるよう
お願いした。
コージーいつも間違えるからね。
でだしが肝心なのに。
あっちの世界に
すんなり入れるようにね。
ちょうど
「きのう金縛りにあって
こうじさんと話して
ピック渡す約束したんです」
というとりちゃんのピックと合わせて
先にデビューしといてもらいましょうか。
1時間ぐらい
コージーの顔を眺めながら
泣いたり笑ったり
みんなで話しをした。
お葬式はしない、というところに
強引に乗り込んだ形だったけど
これだけゆっくり最後の顔を
見ることが出来て
彼へのみんなの思いも
届いたんじゃないかと思う。
最後にひとりずつお別れを、
と言われて
それぞれが涙ながらに
嗚咽をもらしたりして
声をかける。
そんなみんなに
「伝わってると思います」
「喜んでると思います」
と、声をかけてくださる
奥さんの態度は
ほんとうにすごかった。
自分ももちろん
どんなに年をとっていても
ああできるもんじゃないと思う。
しかもたぶん彼女は30そこそこだ。
コージーったら
見る目があったのかなかったのか。
どちらにしてもしあわせな男だよ。
あたしの番がきて
言葉では
ギター練習しとけよ、
またやろうね。
としかいえなかったけど
とにかくいろんな人に出会わせてくれ
楽しい時間を作ってくれたことに
ありがとうの気持ちをこめて
合掌した。
冷たく、硬くなった顔にも
さわらせてもらったけど
ほんとうに
「どっきりだよ!」って
いきなり起き上がってきそうなくらい
すべすべしていて
信じられなかった。
会いに来なかった
おわびは口にできなかったけど
きっと伝わっていたと思う。
そんなこと口にしなくてもわかるくらい
彼とは心の通じた友だったと思える。
ひょんなことで出会って
バンドの練習といっても
月に一度、ひどい時は
年に二回ぐらいの時もあって
でも最初に会ったのが
2003年だから
ずいぶん長いつきあいに
なってたんだな。
名残惜しいけど
部屋をあとにして
みんなで駐車場まで歩く。
来た時の重苦しい顔とは
みんなちょっと違ったような気がする。
コージーの安らかな顔を見れたこと、
そして奥さんに
「見本になったんだから
みなさん健康には気をつけてくださいって
こうちゃん言ってますよ」
なんてはげまされちゃったりして
なんだかもうありがとうなのでした。
帰り道
ヤストキに
「姐さんの結婚式見せられなかったですね」
うーん!まったくだ!
駐車場で出た
これから川崎に帰ってメシでも、
の話には乗っかることにする。
コージーも好きだった
「オサヤン」というホルモン屋へ。
車を置いてくるとか
着替えに行く、という人もあり
たまたま最初に呑みだしたのが
まさき、とり、やすときの
バンドメンバーだった。
テーブルの端には
コージー用に
瓶ビールとビアグラスを置く。
あえて「乾杯」と
グラスをあわせると
ほんとうに一緒に飲んでる気分。
悲しさより
ずっと我慢していたお酒を
コージーも呑んでくれてるんじゃないかって
そんな気持ちにほんとうになった。
「コージーこれ食べる?」
「コウジさん冷めちゃいましたね、
焼き直します、肉」
と、自然に会話しながら
ああほんとうにいいメンバーに
出会えたなって。
でももうここにコージーがいることは
ないんだって、
また思い出して泣く。
「おれも隙間あるとさみしくなります、
こうじさん、兄ちゃんみたいだったから。」
と、笑ったり悲しがったりする
とりちゃん。
「コウジさんは俺を好きすぎたな」
というまさきに
「いや俺の方が」と言う
とりちゃんと自慢しあいになったり。
そこへやってきた
すがっちをうっかり
「コウジさん」と呼んじゃったり。
そこへ
一緒に会いにいった人たちが
戻ってきたり
急遽声をかけた
昔の呑み仲間が
ひとりふたりとあらわれたりして。
結局20人近い集団と化してしまった。
そして人が来るたびに
「コウジさんと乾杯してください、
ここにいるから!」と
来る人たちに感謝する
うちのメンバーたち。
ほんとうにいいやつらなのだ。
途中
夕方には来れなかった
もうひとりのヴォーカルヤスからも
連絡がある。
「会いに行ってきたよ」って。
「ヤスさん、行ってくれたんですね、
俺ほんとうれしいっす!」と
とりちゃんまた涙ぐむ。
って群馬から来たあんたも
えらいけどね!
みんな
それぞれのコージーとの思い出話をして
ここそこで
泣いたり笑ったり、、、。
まだメールの返信を
くれてた頃
スカイツリーの構造を詳細に説明する
テレビを観て
「すげーらしいね。
できたら見に行くからアネキよろしく」
なんて言ってた。
その時冗談で
「登る前に死ぬなよ」なんて言ってたぐらい
元気だったし
あたしはまさかって思っていたんだけど
彼自身はどう思っていたんだろう?
と、思うとほんとにごめんて言いたい。
発病の時も
みんな信じたくないから
深刻な方向に持ってかないよう持ってかないよう
いつもと変わらず笑いあっていたけど
本人は不安だったんだろうな。
でも認めてしまったら
本当になっちゃうんじゃないかっていう
恐れもあたしたちの中にはあって
いま思えば思いやりがたりなかったと思う。
きっとあたしたちに見えないところで
痛みや不安と闘っていたと思うから。
そのことは後悔してる。
でも
何をやってもどんな関係でいても
後悔しないってことはないよね。
きっと死に目に会えたとしても
やっぱり何かを後悔するんだよね。
そんな話もして。
前は
いつも一緒にいる連中の
「ザ・川崎」の乗りに
気後れして
コージーの影で
おとなしくしていたあたしだけど
いつの間にか昨日来ている人たちとは
いろんな話をして
涙流しあいながら
たくさんハグもした。
これもそれも
みんなコージーのおかげなんだね。
このあと
店にケイタイを置いてくる、という
失態も起したのだけど
実はそのケイタイ、
コージーの杯の前にあったって。
帰りがけに最後の「乾杯」」をしなかったからか
まだ帰るなよ、か
また川崎にケイタイ取りに来いよ、か
コージーのちょっとした
イタズラだったんだと思う。
この先
スタジオに入ったり
何かの時に
彼の存在がいないということを
強烈に感じる時が
来るとは思うのだけど
とりあえず今は
苦しかった痛みから解放された彼が
すぐ近くにいるような気がしてならない。
会いたくても会えなかった時よりも
もっと近くに
思えばすぐ近くで話を聞いていてくれそうな
何かあっても助けてくれそうな
そんな気持ちになってる。
そしてたとえ自分に死が突然訪れても
あっちに行けばまたコージーが
楽しいイベントを用意していてくれるんじゃないかって
死ぬことが恐くなくなったような
気がしてる。
とりあえず今はね。
それがいまの
あたしの心境。
今日は雨だったね。
彼は今日荼毘にふされました。
悲しみの雨って
あるんだと思う。
コージーに会えてよかったよ。
大好きだから
安らかに眠ってね。
そしていつでも呼んだら
会いに来てよね。
借りっぱなしのオーヴァードライヴ。
形見になっちゃったな。

痛み、その後

とりあえず出勤して
予約の電話を入れてみると
10:15とのこと。
仕事を中断して
レントゲン取ってもらった。
骨はきれいで問題なし。
首のS字のカーブがゆるいから
もしかしたら肩こりとか
起こりやすいのかも。
だと。
で、今の程度の痛みなら
神経の方は問題ないだろうから
ただの疲労蓄積、
肩こりのひどいやつだろうって。
PCに12時間も向かってちゃ
そりゃ出るときは出ますよって
半ば笑われながら。
痛みどめと
湿布を処方してもらう。
過労とは予想通りだけど
そう言ってもらえると
安心するものなのね。
医者嫌いの看板は
そろそろ下げるかな。
「アルコールはいいですか」
ちゃっかり確認すると
「ばかばか飲まなきゃ
大丈夫ですよ」
とのこと。
「はい♪」
会社にもどり
新しい湿布を貼り
ランチの後には薬も飲むと
夕方あたりから
すっかり痛みはなく。
ある意味それも恐いけど
そうやって
いつも通り20時まで残業。
ひと駅手前で降りて
母とケイタイで話しながら帰る。
結局こんなことを直接訴えられる相手は
身内とは。
離れてから知ったよ。
そして
家に帰って
一日ぶりに飲んだ缶ビールの
ありがたかったこと!
ラーブビアー!とか
・・いや叫んでないって。
ピーマンのおひたしとか
ほたての混ぜごはんの具とか作って
明日はお弁当持って行こうね。
今日は友人たちからメール
そしてコメントも頂いてしまい
ありがとうございました。
ここは自分の日記だから、
なんてえらそうに言いながら
「大変だったんだよー」って
誰かに向かって書いてる自分が
みっともない。
もちろん正直な気持ちを
残しておきたい場所なんだけどね。
soukichiさんの名言、
体力的、精神的、経済的に
自己管理できないと。
というコメントには
言い返す言葉なし。
すべてをカバーすべき
軸がここんとこ
ずれてる気がする自分。
「いつハワイ、沖縄に移住する?」
なんて友人の言葉にはまだ乗らないぞ。
もう少しじたばたすることにする!
まずはこのわずらわしい痛みを
ねじ伏せるぜ。
追記:
なーんてこと書いてたら
ひとまわりも下のお友達から
「姐さんの日記はみっともなくない!」
ってメールが。
素直にありがとう♪
いい夢見れそうよ、S美。

やるせない一日

きのうは。
代々木公園の
ネパールフェスへ。
☆としずとびっぷと。
期待していた雑貨類とか
特に変わった料理とかには
出会わなかったけど
昼間から木陰で
だらだらと青空ビール。
風が止まると暑くって
疲労感はあったけど
今年はタイフェスがなかったし
このだらだらな遊びも
年に一回ぐらいはね。
寄り道はせず
夕方には帰ってきたけど
両肩が痛くて
ギター担いだせいかなぁ、、
と、ビール飲んだりしてたら
夜になって右肩に激痛!
肩から腕にかけて
ものすごく痛くて
しびれるほど。
横になったら
もう起き上がるのも大変で
さがした湿布は冷感のもの・・
とりあえず貼って
ふとんに入ってみるものの
痛みがひどく
少しずつ動いてみるけど
その体勢も長くしていると
痛くって眠れない。
体の下にクッションを置いてみたり
変な体勢をしていると
今度は息が苦しくなる。
声に出さずにいられなくって
ひとり部屋の中で
痛い、痛いって
言ってる自分が
ひどく孤独でさみしくて。
自転車レースを
何本か寝たり起きたりしながら
見ていたら
やっと朝。
今日はサルだっていうのに
起き上がってでかけるなんて
できそうにもない。
主要メンバーと
週末の登山の相談をしようって
言ってたNNちゃんとAっきーに
謝りのメール。
すごく残念。
自分の好きなことができる
自由の身なのに
自分の体がこれじゃ
何もできない。
何のために生きてるんだろ。って。
明らかに寝不足だったので
まだ眠いのだけど
どの体勢で寝ても
痛みはおさまらない。
明日からの仕事のこととか
心配になる。
納期がせまっていて
月末まではフル稼働、
早めに行って時間を作ろうとさえ
思っていたのに。
遊びも
仕事も。
この状態じゃ酒も飲めない。
体力だけは自信あると
思っていたけど
寄る年波には勝てないってか。
何もかも中途半端で
終わってしまうのか、
あたしの人生・・・と
気持ちも落ちてしまう。
痛みと戦いつつ
情けない思いで
時間を過ごして
外に出ようとやっと思ったのが
14時すぎのこと。
とにかく温感の湿布を買わなくては。
ドラッグに行き
ついでに簡単に食べられるものなど
購入して帰宅。
もしこれが足だったら
買い物に行くことも
できないんだなって。
いろいろマイナスなこと
考えて。
温感湿布を貼って
本読んだりラジオ聴いたりしてたら
夕方に。
痛みは少しはましに
なってきたかな。
スープを作って
パンを焼いて
クリームチーズを塗って
ほおばる。
少し元気がでた。
日記を書くくらいの。
でも
まだ痛みはあって
明日からの仕事のことが
頭を悩ませる。
どのタイミングで
医者に行くか。
きっと休み明けの朝一は
混んでいるから
午後にちょい抜けするか。
でも
医者に行ったからといって
飛躍的に良くなるわけでもないし
しかも仕事イコール
右手を酷使することだし。
後悔するにも
どこがいけなかったのか
イマイチわからないし
それももやもやしている感じだけど
とりあえず寝不足で働けないというのは
余計なマイナスポイントだから
もうそろそろ寝なくては。
うー
明日の日記は
こんな気持ちにはふれない内容で
書きたいもんだ。

どうしようもないことの行方いろいろ

今朝は。
珍しく9時出勤せず
神田駅寄り道。
実は人気の寝台車
サンライズの予約に。
何か裏の手はないかとか
金積もうか、とか
調べてはみたのだけど
一ヶ月前の10時、という
JRの掟は守られているらしい。
ならばこっちも
真っ向勝負じゃい!
というわけで
15分ほど前から
みどりの窓口前をうろうろ。
客の数などチェック。
10分前に入店し
「一ヵ月後の予約なんですけど」
と、恥をしのんで
カウンターにお願いしてみる。
「あと10分ありますから
お待ちください」
予想通りことわられたけど
見えるところで
ぷらぷらしてた。
もちろんアピールの意味をこめてね!
そしたら
客が偶然にも5分前くらいに
あたしひとりとなり
JRの方が話しかけてくださる。
「さっきの内容見せてください、
そろそろ準備します」
ふふ、来たな!
端末がふたつある窓口
だったのだけど
二人でダブルで頼んでくれようとして
「出雲と瀬戸どっちがいいか」とか
「禁煙か・・」とか
相談してるのが聞こえてくる。
「あの!なんでもいいんです!
喫煙でも!
席種がわかれも出雲と瀬戸に別れても!」
と、言ってみると
「とりあえず4つ確保しましょう」
なんて、彼らもその戦いに
やや目覚めてくれた模様。
「じゃ、俺出雲入れてみますんで
○○さん、瀬戸で。
両方とれちゃったら
取り消せばいいですよ」
と、なんとまあ
親切なこと!
というよりは
鉄っちゃん魂を見た!
と、言うべきか。
ところが。
5分前をすぎたあたりに
客が一気に3人入店。
ひとりは普通の客だったのだけど
他の二人はやはり
一ヶ月後のどこかの指定を
取りたい人らしく
2台態勢だった
あたしのチケットが
1台に。
いやでも信じます。
神田駅のキミ!!
そして運命の!!
「とりあえず4つとれました」
「ありがとうございます!」
それから
席表をいくつも
クリックしまくって
「シングル階上とれました、4つとも。」
「あ、ありがとうございます!」
というわけで
とれちゃったのです。
連休前金曜日の
難関と思われた寝台車が4部屋。
売り出し日に取れなくても
掛け持ちでお願いしてる人が
キャンセルしたり
旅行会社が握っているのを
直前に離したりするから
キャンセル待ちしてれば
とれるんじゃないか。
というのが通説のようですが
そこが決まらないと
ほかの計画も立てにくいし。
もしとれなかったら
旅の価値もかなり下がるわけで。
ここんとこ
旅行といえば
雨に降られたり
自転車落車だのなんだの
不吉な年だったので
どうかとは思ったのだけど
ここにラッキーを残してたんだね!
そう思ってひとりみどりの窓口前で
にんまり。
と、同時に
ほーーーーーーーーって。
安堵の深呼吸。
心配でしょうがないのに
(いやしょうがないから?)
人にはまかせられなくて
自分でやれることは
やらないと気がすまなくて
実はきのうも
みどりの窓口に行って
用紙の書き方を相談するふりして
だめもとで
「明日の予約なんですけど
今日受付とかないですよねぇ?」
とか一応聞いてみたり。
でも
昨日行ったおかげで
帰り道がはっきりとは決まっていないけど
とりあえず往復乗車券を買うのは
お得そうだ、ということがわかったり。
同行する仲間は
プレッシャーかけないようにするためか
「取れなかったら
それはいーんじゃない?」
とも言ってくれたんだけど
最高のプラン、と
一度思ったものを
そうそう変えることもできず。
なので
実はすでに
しまなみでのレンタサイクルが
思った車種と日程で
借りられなかったり
尾道での宿泊が
どこもいっぱいで
くじけそうになったりとか
あったのだけど
ひとつひとつ
なんとかクリアできていて。
シツコクアプローチしていると
ぽこっと「穴」が
見つかったりするのだよ。
旅の計画に関しては
あたしはちょっと
あきらめ悪いかも。
そんなわけで
きのうは神田駅に
NNちゃんと行ってみたのだけど
そのあと周辺で飲もう、と
訪れた『あい津』は
予想通り満席ですごすごと。
マスターがすまなそうに
厨房から出てきてくださったけど
これもあとで
「必然」と考えざるをえないのだけど。
そんなにビール日和って
わけでもなかったのだけど
『じゃー加賀廣だな』
と、NNちゃんと意見一致で
扉を開けてみると
お父さんが待ち構えていて。
たしか前回は満席で
ことわられたので
「また?」と思っていたら
貼紙を指差す。
「九月三十日をもって閉店します」
へ??
お父さんなんで?
「連絡しようにもわからないから
困っちゃってたのよー」
「お父さん具合悪いの?」
「いや、介護でね」
はあ。
そういうことなのかー。
聞けば
自分の親、奥方の親と
あわせて3人の面倒を
もう何年も見続けているのだとか。
「あと6年と思ってたんだけどね」
そうか、それでちょうど。
お父さん自身は元気そうなのに
切ないね・・・
「ここんとこもう睡眠3時間よ」
すごすぎる!
とりあえず
驚いて残業してる☆と
おやじ呑み友M田さんに電話、
同じくMとTにもメールしてみる。
「いきますとも!」
と、興奮して
☆が遅れて登場。
この店の終わりを
ほんとに名残惜しい、という話を。
だって日本一瓶ビールの美味い店が閉店だよ?
あのお父さんの恵比寿顔に
癒されることもないんだよ?
嗚呼。
とりあえず
巨大レバーをはじめ
名物の串もの、
大好きなポテサラと
コールスロー、
それにお父さんおすすめの
真鯛のフライを。
「でも来てもらえてよかったよ、
通じたのかね」
と、いつものサービスの瓶一本を
ぽんと机の上に置いてくださる。
日本一美味い中でも
このビールがほんとに美味いんだよ!!
神保町でとても
居心地よかった
『菊水』も夜の営業は
やめてしまったし
某店は味が落ちてしまったし
某店もオーナーが変わってしまった・・・
あたしの安息地が
急激に減ってる。
もちろん
「居酒屋難民」になる恐怖もそうなのだけど
どの店も店の方がすごく好きだったので
彼らが続けられなくなってしまった
その状況を思うのが
なんだかつらい。
あたしは別の飲み場所を
さがせばいい。
だけど彼らの居場所、
彼らの活躍の場は???
切ないね。
自分ではどうしようもないこと
自分のことだけ考えてもいられないこと
そういう時期は必ず
やってくるんだよね。
とはいえ
自分に関していえば[#IMAGE|c0049455_083655.jpg|201109/08/55/|right|150|220#]
そのことを考えて
何もできなくなってしまうよりは
今じゃないとできないと思われることは
やっておこう!って。
ますます生き急ぐベイベーなのでした。
しまなみ行くぞー!!
備忘:ビールもいいけど
お父さんお手製のコーヒーハイも
忘れずに飲もう!っと!→

たまには世話んなってみるわ、あんたたち

きのうは。
相変わらず
用事は多く
さらに増やそうとしてるあたしに
しずちゃんよりアドバイスあり
しばしの休憩を、と。
この顔で出歩くのなんだし
ごはん作るのもやーめた!
で、『ジャズオリンパス!』で
カレー食べて帰ることに。
あの店暗めだしね。
思惑通り
マスターK松くんは
「言われてもわからないよ」
とのこと。
「今日も瓶ありますよ~」
と黒ラベルをどん!
おととい
手に入れた
梨木さんのカヤックに乗る
エッセーを読みつつ
ひとりビール。
途中K松くんが
「オノマトペ」の本を持って
となりでおしゃべりしたり。
Hえもんと
かの「スーパーロック84」
に行った!という話で
盛り上がったり。
おかげ様で
お腹も心もはちきれんばかりですわ。
今日は
だいぶ前からしていた
『さらせん』へ蕎麦を食べに行く約束を
キャンセル。
日曜のコンロス@アースガーデンも我慢。
ただ
土曜のスタジオだけは
「姐さん、元気なら
気にしないでおいでよ」
と、やさしいメンバーたちが
メールをくれるので
悩み中。
明日は
久しぶりに仕事は休んで
整形外科に行ってみるつもり。
実は顔にばかり気をとられていたら
両膝にすげーアザ。
アザだけならほっとけばいいかと
思っていたら
だんだん痛んできた・・・
ちょっとすりむけてるせいなら
いいんだけど
内出血も変に固まると
歩行に影響でるとかって
ネットで見たので
ここは用心深く、ね。
今月は山にも登るし
そんな楽しみ奪われたら
まじで泣きます~~~
ということで
医者嫌いの姐さん、
しばし医者の世話んなりますぅ。

届く声

まず届いたのは春の声。
去年お邪魔した
うちのバイトちゃんの実家から
「道草」が届く。
校長先生から飲食店主へ
変身をとげた父上、
やはり研究好きとみえて
かなりの山菜マニア。
野菜は買うのはやめて
もっぱら「道草」を摘んで
料理してらっしゃるようで。
そのおすそわけをいただく。
・せり
・あさつき
は、さっとゆでて冷たいおそばと一緒に。
・かんぞう
は、うるいみたいなので
お酢とマヨと粒マスタードで和える
・しゃく(山にんじん)
は、一番くせがありそうだったので
ごまをたっぷりすってごま合えに。
プラス。
ふきのとうのピクルス。
これ最高~。
父上ほんとにすごいのだ。
また今年もお邪魔したかったんだけど
山形・・・遠くなっちゃったね。
そんな山菜で
ひとり晩ごはんのところへ
「元気?」
との一言メール。
抗がん剤治療のため
入院中のバンドメンバーから。
結構マメにメールしてたんだけど
忙しさにかまけて
ご無沙汰だったんだ。
あんたに「元気?」と言わせるとは・・
あちゃあ。
メールを書き始めたけど
積もる話もあるので
電話してみた。
メールできるってことは
電話もとれる場所にいるんだろう、と。
かすれた声ででたのは
しばらく人と話してないからだと思うが
やっぱり以前のような勢いはなく
ぽつぽつとだけど
でも
一生懸命話してくれる。
たぶん男同士じゃ
そう甘えるわけにもいかず
唯一異性のメンバーのあたしに
メールしてきたとみえる。
やっぱりすることもなく
ただ痛みに耐えて
いつ治るかもわからない治療を続けるのは
つらいんだろうなぁ。
症例が少ないらしく
長引いているようだけど
一次は切断しなくては、とおどされた
腕の腫瘍も跡形ないって。
よかった。
とりあえずギター弾けそうね。
「明日からたぶん副作用がひどくなるんだよね」
そう、弱々しい声でつぶやいたヤツに
「つらくなったらその腕みて
俺はまたギターが弾ける、やったー!って思え。」
それぐらいしか言えなかったけど
いまごろそうやって
闘ってくれてるだろう。
日本にはさまざまな「闘い」が生まれたけど
あたしにさえ小さな「闘い」が生まれたけど
とりあえず近くの「闘う人」の声を
フォローできたのなら
あたしはうれしい。
がんばれ、コージー。
そして頼ってくれる友人がいるということも
あたしの「闘い」を一部フォローしてんだよ。
ありがとね。

生きてる限り、突然のジ・エンド

今日突然。
同僚が亡くなりました。
同僚、と言っても
大学図書館現地で働いているので
ここのところ
顔を合わすことも
なかったのだけれど。
でも
その図書館に我が社が介入する際
立ち上げスタッフとして
あたしが行っていて
当時大学に雇われていた彼女とは
大学と我が社の間に立つ
最も近しい間柄として
関係していたこともあって。
しかも
彼女はあたしより3つくらいしか変わらない
40代。
早くに子供を産んで
今では成人した子供たちがいる
という話だったのだけど。
美人で
やさしくて
そつなくなんでもこなす彼女が
突然
いなくなってしまうなんて。
こんなことってあるんだ。
原因ははっきりしないけど
死因は心臓発作。
今朝は心臓が痛くて
医者に行っていたそう。
地震の影響で
棚から落ちた1万冊近い本を
どうするか、という話で
肉体労働だの
それにまつわる
ちょっとしたもめごとに
巻き込まれていたということが
原因だったとすれば
過労、、ということに
なるんだろうか。
被災とはまた違う衝撃。
友人や
いつも会っているような人ではないので
すぐさま号泣というのとも
違ったのだけれども
とにかく彼女自身、
そして家族やまわりの人が
気の毒でしょうがない。
同じ大学で
彼女と毎日顔を合わすスタッフに
メールをしてみると
ひどい落ち込みようだった。
気持ちはわかるけど
彼女の運命だったと
冥福を祈るしか
こうなったらないよね。
これは自分への
言葉でもあるんだけど。
運命のいたづらで
生かされている自分は
精一杯生きなきゃね。
難しく考えたって
生きることのできる時間は
そうそう長くないんだから
心が動くままに生きようって
ここんとこ迷ってた
自分に釘刺す出来事。
彼女に対して
祈る時間も必要だけど
それによってそれぞれの人生を
考え直すのも
彼女への供養になるのかも。
たとえエンドが決まっていたとしても
それまでは
後悔しないように生きなきゃね。