おいちゃんの最期に

母の兄が亡くなった、
との連絡が来たのは
金曜の仕事中。
あたしが記憶してる
子供の頃の夏休みには
すでに全盲で
鍼灸師をやっていた
おいちゃん。
母の兄たちはみな
豪快で酒呑みで明るい人たちだったけど
その中でも気後れせず意見を言って
存在感のある人だったと
記憶している。
目が見えない分
きっと人には見えないものがいろいろ
見えていたのだろうと
聞いてみたい気持ちもあったけど
両親の郷里には
子供の時以来
行く機会も余りなくなって
今となっては残念な気がする。
今日はお通夜、
下関からちょいと東京にも
ふらっと寄ってくれるかしら。
母から
「あんたの香典は立て替えとくわよ」
というメールをもらい
兄弟に「弔電打つ?」と
メールしてみた。
一緒にどお?というつもりで。
と、兄からすぐ
「うちは別にするから」
との返事。
あーそうか。
そうだよね。
あたしが結婚していた頃だったら
そんな相談もしなかった。
あたしにも「うち」がある時は。
それを失った今
自分ひとりで「うち」
だという意識を持たなくては
ならないんだということ。
そんなことをあらためて
思い知らされた気がして
ちょっとした衝撃。
兄や弟になんか興味ないし!
と言っているのは
いつもあたしの方なのに
それならそれであたしは
ちゃんと「独立」しなくちゃ
いけないんだって。
してるつもりだったのに
いざとなったらこれかよ、自分。
そんな思いを持った。
ただ
忘れた頃に
「で、どーする?」
なんて無邪気に返信くれた
弟の末っ子らしいセリフにも
笑ってしまい
「別にするんだよ。あて先は・・」
と、姉の顔でメール。
でもこいつもこれでいて
ちゃんとヒトノオヤだもんな。
でもこういった気付きは
ゆっくり話すことはできなかった
おいちゃんからの最後の
メッセージだったのかな。
ちょうど
shindouさんとこで
梅さんのおじいちゃんとか
今朝のテレビで浅田家や
児島でジーンズ作ってる家族とか
そういうもの見たりして
いろいろ思うところはあって。
うちはかなり
他人行儀な家族で
お互いに泣き言を言ったり
秘密を打ち明けたり
そういう相手では
決してなかったと思う。
だから仲のいい家族というのには
あこがれるのだけど
それはまだあたしにも
チャンスがあるのだから
がんばらねばならないのに。
目先の楽しいことに溺れて
逃してしまうんでしょうか。
こういう自問が繰り返される。
だけどだからと言って
酒飲まずにまっすぐ帰って
家でテレビでも見ていれば
「運命の人」が現れるのか?
年相応の服装して
おとなしく電車に乗っていれば
王子様が声かけてくれるのか?
この言い草がすでに
ダメなのかねー。
でもあたしつきあったら
結構かわいいですよ!
と、わかんねーけど
世界に向かって書いとこ。
ってことでよろしく!
あれ?これでいいのかな、おいちゃん。

「おいちゃんの最期に」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 1
    PASS:
    伯父様の御冥福をお祈りいたします。
    さて、家族・・・。
    今日はイスラム正月2日目。家内の家族が一同に集まりました。家内は10人兄弟の9番目。両親はもとより兄弟にも他界された方がいて全員が勢揃いすることは今はない。とはいえ、もの凄い親戚の数です。今日も50名近く集まっていた。毎年増殖するから、下の方はもう誰が誰だかわからん。でも、「おじさん、おじさん」と新年の挨拶に来る子達は可愛いものです。本当は家族の絆を感じる時なのですけど、ハッキリ言って、「3丁目の夕日」状態で、「懐かしいなぁ~」というのと、帰宅してどっと疲れがでるというのが本音ですな(笑)!!

  2. SECRET: 0
    PASS:
    鍵コメどの。
    いや~その状況もある意味おもしろいかなって。

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