めでたい初タイ無敵の40

今朝の朝ごはんは
マンダリンオリエンタルの
パンでした。
でも朝からブルーチーズはないっすよ、
おにーちゃん。
きのうは。
初出勤だけど
早々に飲み。
いつもあたしのブログで
この店が気になっていたという
麻布のF子の提案で
召集かけたところ
神楽坂のF、そしてM香が参加。
神田は『チョークディ』へ。
すいてるかと思いきや
団体さんもありーの、
店長おにーちゃんてんてこ舞い。
お決まりの
ソムタムと
ヤムウンセン。
いつも辛めだけど
きのうのはとくに辛かったな、
ソムタム。
例にもれず
おすすめしたら
やはり好評でした、
バイトーイ。
それから
いつもはあまり頼まない
トムヤムスープ。
やっぱり美味しかった。
あと食べるの二度目なんだが
ソフトシェル好き~。
味がしみしみで
口の中でかむほどに
殻の間から
そいつらがじゅるじゅるって。
そして
バイトーイとかぶるかな?
とか言いつつ
頼まずにはいられない
ガイヤーン。
正月中に
箱根いったやつ
イタリアいったやつ
さまざまでしたが
老後は助け合おうなんて
話になったりして。
年とったなぁ。
〆には
バジルごはん、たまごのっけ。
もう無理です~お会計~
とバッテンしたら
おにーちゃんが
「デザート食べませんか」
っていつもながら
頂き物だという焼き菓子をくださり。
あたしには
「甘いもの食べない人には」って
マンダリンオリエンタルのパンを
くださいました。
おにーちゃんありがとう!
結局コーヒーまでしっかりいただき
満足でした。
何より
去年から忙しくしていたF子が
リラックスできたというのが。
やっぱりそれなりに気苦労が
あったと思うので。
組み合わせはいろいろだけど
最近何かと機会の増えた
中高時代のこの人ら。
まだまだ長いつきあいに
なるみたい。
次は小田原でバーベキューだっけ。
あたしは運転しないよっ。

最後の場所

早朝の神戸空港。
がらがらのポートライナーに
乗り込んで座った席が
偶然一番後ろの席で
後ろ向きにスタート。
離れてく空港と海と
冬らしく控えめに色が変わってく
空を眺めながら
三宮へ向かう。
ポートライナー乗るのは
ポートピア以来か、
なんてこと思ったら
パビリオンのあと、みたいな
へんてこな建物がぽつぽつと
残ってるみたい。
三宮は三線が通る大きな駅だけど
さすがに朝だけあって
閑散としてる。
そんな中
すいすいと一番山側を走る
阪急電車の駅に入り
梅田行きの電車に乗る。
ここの土地勘は
刷り込まれてるみたいね。
昔から変わらない
あずき色の電車。
0歳から6歳直前まで
住んでた場所。
不思議と鮮明に覚えている風景が
とぎれとぎれだけど
目に飛び込んでくる。
海と山の間の
せまい土地にできた町の間を
抜けて走る電車。
どちらかといえば
海側より
急な坂に沿って
山にしがみつくように建ってる
家たちの風景が
あたしは好きで。
20分もしないうちに夙川駅に着く。
駅の造りも変わらない。
小さいままのロータリー。
ホームの下に川が流れる。
川沿いに立ち並ぶ松と
白い砂のような河原の土。
ここは海だったんだろうか。
住んでた場所に行く前に
駅の反対に向かって
歩いてみた。
昔行っていた
「クミアイマーケット」。
「コープ」になっていた。
ああ、そうか。
何度も両親から聞かされた話。
そのマーケットで
ベビーカーに乗せたあたしをおいて
離れた両親が戻ってみると
人だかりになっていて
ベビーカーの横に老婆が立ってて
まわりの人にむかって
「こりゃあおおもんになる」
とか言ってたんだとか。
お世辞にも
かわいい赤ちゃんじゃなかったあたしは
両親曰く
「口をへの字にして眠ってた」
んだと。
ははは、よっぽどふてぶてしかったんだろな。
マーケットの向かいは
阪急の高架なんだけど
そこにいくつかお店が入っていて
そのうちのひとつの喫茶店には
何度か連れていってもらった
記憶がある。
たぶんコーヒーにこだわってる店
だったんじゃないかな、
なんとなく暗い店内に
茶色いものがたくさんあったというのと
70代らしいサイケな花とか女性の絵
それこそarinkoちゃんの好きな
伊坂芳太郎みたいな
そんな絵があった記憶が。
ちなみに今も
コーヒー屋が一軒ありました。
いたって普通のたたずまいですが。
残念ながら開店前だったので
今度お邪魔してみようかな。
それから夙川の河原に出てみる。
大きな石がたくさん積み上げられた
堤防の下を川が流れてる。
川の水はそんなに多くはなくて
水と同じ高さにも土や石の部分があって
そこを伝って
犬の散歩をさせてる人なんかもいる。
川をまたぐ小さな橋に立って
山の方を向くと
両岸に立ち並ぶ松と
その下でしなってる桜の枝たちが
冬枯れなのにアーチみたい。
ここの桜も見事なんだよなぁ。
河原の白い砂の上には
遊具があるのだけど
ブランコはほんとに
そのままあるみたいで。
もしかしたら塗りなおしてる
だけなのかな?
得意になってやってた「うんてい」が
ずいぶんちいさくて
驚いたけど・・・
それから
記憶をたよりに
家の方面に向かうのだけど
いや~道がせまいせまい。
これは記憶とかそういう問題でなく
よくこんなせまい道のまま
開発されないなぁって感じ。
そこそこ有名な住宅街なのにね。
でも
昔からあった家の石垣の岩の
大きさは今見ても大きい。
城跡の石みたい。
坂の町なので
ななめの土地に家を建てるには
平らな土地を確保する必要があるんでしょう、
ほとんどの家が
石垣で傾斜を調整しているみたいで
道路から階段を昇って玄関、
というスタイルが多い。
雲井町。
道路と家の石垣の間には
ふたのしていない溝があって
相変わらずふたはない。
車脱輪しないのかな。
雨の日にはそこを
ものすごい勢いで流れてく水を
見た覚えがある。
記憶をたよりに
家に向かう道の途中で
左に曲がってみる。
夙川幼稚園・・あと。
今は外国人が住む洋風の家だ。
煙突もある。
でも当時の扇形に開く木の門と
玉砂利の門前は今も残っている。
広い庭は園庭そのままな感じだし。
ここで運動会とかしたんだなぁ。
4月生まれで
一番カラダの大きかったあたしは
いつも大太鼓で。
鈴とかトライアングルとか
やってみたかったよ、苦笑。
殿山町。
そこで駅から家の半分くらいかと思ったら
ここからが長かった。
おまけに坂はきつくなる。
こどもながらよく歩いてたよなぁ、
駅まで。
家の石垣も高くなって
ずいぶん高いところに家が建っている。
見覚えのある
道路の端に根付いている桜。
れんがの低い塀に芝生の敷いてある
洋風の家。
れんがのすきまから顔を出す犬に
吠えられたっけ。
この坂を下りたら
窓ぎわに白いグランドピアノがおいてある家が
あったっけ。
そっちの坂を上ったら
三角屋根の家、あ、今もある。
やっと木津山町。

駅から20分近く歩いたっけ。
やっとみえたマリアようちえんの石垣。
そこによじ登って
垣根つたいにようちえんを一周しようっていう
にーちゃんにくっついて
おてんばぶりを発揮してたな。
ようちえんの正門の前
たどり着いた社宅のあと。
今も独身寮として
使われているみたいだけど
とってもこぶり。
門柱から飛び降りて
ひざのばねを医者にほめちぎられた、
というけどなんて低いんだろ。
白つめくさがたくさん生えてた
庭もやっぱり小さい。
よく登ってた椿の木はもうない。
1階のまん中は
とってきたセミを放して
網戸がセミだらけになってるのを
外からみた、トモくんち。
かまきりのたまごを持って帰ったら
孵化して朝小さいかまきりの大行進になった
階段はあそこだな。。
社宅の敷地の横辺に沿ってる
金網につかまって
塀の上を歩くのが大好きで。
横が急な坂なので
塀がどんどん高くなるのが
楽しくって。
その塀は今も残っていたけど
有刺鉄線が置かれていた。
もうのぼれないんだ。
坂は
木津山公園まで下っていて
その傾斜ったらものすごい。
もしかしたらいまだに
ここを自転車で降りるのは難しいかもしれない。
坂をおりたところにある
一番行った場所、木津山公園。
台風のあとは
公園中の木が倒れていて
それをたしかめたくて
走って見に行ってた。
そういえば昔は台風とか
よくあって
停電なんかにも
よくなってたよね。
それって関西だけ?
坂を戻ってみたけど
大人の足にもキツい。
昇りきったところが
社宅なんだけど
そこからの四方の風景は
やはり今も変わらない。
木津山公園の先には
遠くに鉄塔が見えて。
怪獣にたとえていたような気もするし
怪獣が倒す風景を想像していたような気もする。
社宅を背にした方角には
山が見えていて
遠くに特徴のある丸い形の山がある。
それが甲山。
ハイキングなんかに行ったような気がするけど
遠くから見る風景のが印象深い。
山を右にみた方角に
進んだ先には
「虫山」があった。
社宅からまっすぐ行った道の先にあった
空き地。
空き地といっても
坂の町のことだから
傾斜のある山みたいな土地だった。
そこが荒れ放題のおかげで
虫の宝庫だった。
セミ、かまきり、カブトムシ、くわがた。
図鑑を片手に名前を調べる
にーちゃんの横で
あたしもずいぶん虫の名前を覚えた。
その図鑑の中で
一番きれいだと思っていた
「たまむし」が獲れた時は
ちょっとした大騒ぎだった。
きれいだった。
ほんとうに「たまむしいろ」
なんだよ。
虫山の先は
行き止まりみたいになっていて
私道をあがった先に
公園があるらしく
そこに友達のいるにーちゃんを
下から見送り、山の上に見える
ブランコのあたまを
いつもうらやましく見ていた覚えがある。
「やまのこうえん」って
たしかそう呼んでた。
でも行ってみるとブランコの
あたまなんて見えなくて
もしかしたらそこに行けない自分の
妄想だったんじゃないかって
思ったり。
深谷町。
虫山の手前の道を
少しくだったところに
もうひとつ公園があった。
ふかたにこうえん。
大きなコンクリートの台形みたいな
おおぜいですべるすべり台があって
こども5人ぐらいで
ならんですべってた、、
のに、ずいぶん小さいんだぁ。
鎖につかまってまた上に昇って
あきることなく何度も何度も
すべってたような気がする。
この公園と
山の公園の手前、
木津山公園までが
あたしの世界のすべてだった。
中学生の頃、
20代の頃、
何度か訪れてみたけど
なんとなく変わらず受け入れてくれる町。
引越しが多くて
ふるさとと呼べる土地はないけど
もし帰る場所を選ばなくてはならなくなったら
選ぶことができるのだったら
あたしはこの場所を選ぶと思う。
夙川はあたしにとってそんな場所。

今年も健康みたいよ、あたしに限っては。

本日、大阪より帰京。
とりあえず
黒ラベル片手に
カレーをつくった
ベイベーです。
今年もイエローな感じで・・!?
いやいや
別に年が変わったからって
特にないですよ、
おみくじ「凶」だったし、くそ。
でも
節目になると
連絡をくれる人はうれしいですね。
音信不通だったのに、突然。
それに引きかえ
あたしは今年は年賀状サボり。
ああ、これで途切れる人が
でてしまわないといいけど・・・
来年は書くか。
え~とじゃあこれ今年の目標ねっ。
年末は
29日早朝便で神戸に降り立ち
予告通り思い出の夙川に
行ってまいりました。
レポートはまた。
三宮に戻って
雑貨屋めぐりをし
『BRUGGE』
という店で
ハイネケン片手に
焼きカレーを食らい
両親の住む五月山へ。
したら珍しく
母が具合悪いみたいで。
それでも今やっているという
ピアノの課題曲を弾いてくれて。
あたしも弾いてみたんだけど
舞曲らしく初見では
ちょいと難しくって。
ずいぶん進んだんだな~。
もしかしてあたしが
幼少時に習っていたのと
同じくらいのペースで
進んでるんじゃなかろうか?
恐るべし、70女!
さて
30日に合流した
弟夫婦と2歳児のカナコと
車2台で京都は亀山へ。
前にも泊まったことのある
お宿なんだけど
両親が気に入ったらしく
9月ぐらいからはりきって
露天風呂つきの部屋を
ゲットしてくれて。
それなのに
母の具合は悪化。
寒気、吐き気で
ごはんは食べられず。
孫とも遊ぶことができず
温泉も無理。
そしてまわりも疲れがたまっていたのか
全員12時前にはバタンキュー。
そんな大晦日。
元旦あけてみれば
義妹が具合悪いと
朝食は
父と弟とカナコとあたしのみ。
りっぱなお重が泣いてましたよ。
かといって持ち帰るほどのものでも
ないんだけどね。→
結局
元旦朝のつきたてもちを頂いたあとすぐ
(いや実はコレのが美味くてねぇ)
京都の神社にも寄らず
早々に帰宅。
病人たちは床につく、という。
そうそう
帰宅してポストをあけた母
「あらサクライショウくんって
 誰だったかしら」
って。
・・知り合いじゃないですから!
でもみなさんちにも来ましたよね、
桜井くんから年賀状。笑。
あれものすごい宣伝だよね~。
病人たちを寝かしたものの
あまりに退屈なので
元気組で初詣に行きました。
呉服神社@池田。
そこでおみくじが・・!
しかも雪に降られて
寒い寒い。
その日の夜のすき焼きも
食べ手が少なく
残ってしまいましたよ。
美味い肉だったのにさ~
なんだかなぁ。
あたし以上に段取りな
両親はほんとうに
悔しがっていたけど
でもまあ
どうせ家でごろごろするのが
正月ならしょうがない。
それに
いつもよりはお役に立てたようで
親孝行の実感もあったから
あたし的にはまあ
いいか。
しかし心配なんて
したことなかったけど
やっぱり年なんだよね。
少しは両親の健康のことも
考えるかねぇ、今年は。
ところで
RSRの日程が発表になりましたね!
心配、とか言いつつ
また今年も観にいっちゃおーかな~
チバくん!